「ユビキタス」とは、いつでもどこでも存在するという遍在を表す言葉です(everywhereとほぼ同じ)。 ITにおいては、コンピューターやネットワークが遍在し、使いたいときに場所を選ばずに利用できることなどを表す用語としてユビキタスが使われている。 https://www.ntt.com/bizon/glossary/j-y/ubiquitous.html
元はエリック・エヴァンスの書いた「ドメイン駆動設計」という本で出てきた用語。ドメイン駆動設計は、開発対象をドメインという同じ言葉が通じる範囲で区切って、設計やコミュニケーションから実装に至るまで同じ言葉を使って設計していく開発、というかモデリング手法
これはつまりそれぞれの人やドキュメント・ソースコードが別の言葉を話しているのと同義
対象領域のエキスパート、あるいは仕様を具体的にイメージできている人の鋭い指摘が伝わらないと大惨事が目に見える。
「いつでもどこでも誰もが」と「使う」という2つの観点がポイント。使わなければ意味がない。
そもそも「言語」と言っているのがポイント。
ユビキタス用語集と呼んでいないのに注意
ユビキタス自体がどこにでもあるという意味を持っているように、開発のあらゆる場面で使うからこそ効果が出るという話
新しい言葉をみんなで作り出しても良い
みんなでやるからこそ難しい。オランダ語で書かれたターヘル・アナトミアを杉田玄白や前野良沢(りょうたく)らが解体新書として翻訳・出版するときにどれだけ苦労したか。神経とか
天にも届く神の領域まで手を伸ばす塔を建設しようとしたが、神によって阻まれ失敗してしまった。空想的で実現不可能な計画を「バベルの塔」と揶揄することがある。 神がこの建設を阻止した方法はなんだったか。それは「言語」だった。共通の言語の下で建設を進めていた中、神はそれぞれが異なる言語を話すようにした。これによって現場は混乱し、塔の建設を止め、世界各地に散ってしまった。 名前を付け、共通の認識とすることがいかに大事か、という話。
旧約聖書 「創世記」11章1-9節 にある。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%99%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A1%94#%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%81%AE%E8%A8%98%E8%BF%B0
* ユビキタス言語とバベルの塔
解答を見せる際のコメント:
太平洋戦争前後のおり、アメリカやイギリスとの対立が深まる中で英語を敵性語とみなし「言動が軽々しく浮わついている(軽佻浮薄(けいちょうふはく))」といって排除する行動が高まった。政府の統制によるものだけでなく、民間団体や町内会からも発生していたというバカみたいなことをやってたわけで。今日の問題はその中で登場した置き換えを例に挙げてます
言語の本質は心理的な相互作用。音声でも文字でもない これはエドワード・サピアというアメリカの人類学者・言語学者が言っていることの解釈。 言語学は話し言葉にあるとしつつも、心理学も重要だと説いている - 言語って話し言葉から生まれている。そりゃそうだ。 - 話し言葉や音声もあくまで口という本来食べるための器官に音を出させているもの - 人間/生物って音声器官を持っていない。ピアノを弾く指が演奏器官と言わないのと同じ(レトリックに偏っているが) - 文字や書き言葉は話し言語を書き下したもの - つまり言語とは、文字や音を相互に交換することによる、お互いあるいは集団の心理的な相互作用 順番を心理面から並べて言うと、言語とは心理ではあるが、それを口という器官に目的外のことをさせて音に変換・記号化して、それを耳で聞いたものを文字や書き言葉に記号化している。書き言葉って二次創作物。 そしてそれを私たちはプログラムコードの中で使っている。 この状況において、曖昧適当な命名をしてしまうと、心理という一番伝えたいものの記号の記号(二次創作)を めちゃくちゃにしてしまうので、命名ってすごく大事。